株式会社稲庭古峯堂|食品製造|秋田県湯沢市

qrcode.png
http://inaniwa-kohodo.jp/
モバイル版はこちら!!
バーコードリーダーで読み取り
モバイルサイトにアクセス!

株式会社稲庭古峯堂
〒012-0107
秋田県湯沢市稲庭町字三嶋12-1
TEL.0183-43-2488
FAX.0183-43-2481

 
 

稲庭うどんの歴史

 

稲庭うどんの歴史

稲庭うどんの歴史
 
稲庭うどんの歴史
 
秋田県の名産として売り出されている稲庭干うどんの製造は、稲庭小沢部落の人、佐藤市兵衛が始めたと云われる。市兵衛は、干うどん及び白髯素麺、粟素麺等各種の素麺を製して比類無き上品としょうされ、元禄3年(1690年)藩主の御用を賜った。佐藤長太郎はその子孫であるが、その子孫はこれを廃業し、製造は伝承されなかった。
 
この頃により、佐藤吉左衛門(のちの稲庭吉左衛門)が干うどん製造業を興した(1665年.寛文5)。その後、佐藤吉左衛門も干饂飩素麺を製造した。明治になってからは、佐藤平助、小野寺平五郎、岩川嘉助、佐藤養助等の同業者が出たが、その中で最も著名なのは、佐藤吉左衛門と佐藤養助の二家である。佐藤吉左衛門は干饂飩製造業を起こししてから、年とともに改良を加え、宝暦2年(1752年)藩主の御用を仰せ付けられ、御用饂飩所の看板を掲げ、この時より、稲庭には饂飩屋といえば吉左衛門の事と知られるようになった、現在の稲庭吉左衛門は、創業より第16代稲庭吉左衛門としてその技法を伝承している。
 
 
また、佐藤市兵衛は宮城県白石地方の出身ではと伝えられ、白石地方には手延べ製法による『白石うーめん』の歴史がある。
本来、手延べ製法は、長崎の島原素麺、奈良の三輪素麺があり、歴史的にも古いものをもっているが、これら製法が西日本から東日本へ伝承され、稲庭うどんの基となったと考えられている。
しかし、西日本を中心とする手延べ素麺は機械化の合理化により、量産化を達成することができたが、本来の完全な製法の伝承がなされなかった。
片や稲庭饂飩は、西日本程歴史が古くはないが、伝統技術の開放が遅れた分、本来の製法がいまだに継承され、その伝承者の家系が続いている特殊な要素を持っている。
昭和40年代になると、麺製造従事者が次々と独立し、現在、稲庭饂飩の産地といわれるようになった。その製造メーカーの70%が人口2,000人程の稲庭地区に集中している。
 
<<株式会社稲庭古峯堂>> 〒012-0107 秋田県湯沢市稲庭町字三嶋12-1 TEL:0183-43-2488 FAX:0183-43-2481